わたしが突然変わった日の話

思い返せば、昔はやらねばいけないことばかりに囲まれて、へとへとやった。
今日は、村の月一の集まりの日。憂鬱。
本来なら行きたくないし、集まっている人の多くが、やりたくて行ってるようには見えない。
けれど、そこに住むにはそこのルールがあるし、実際行ってみると、こういう集まりは大事やなぁと思うことも多い。
それに、この村に守られてることも多く、コミュニティには安心感もある。
しかし、特に子供が小さな時、家族、学校、地域、習い事など、色んなコミュニティでの、やらねばならないことに囲まれ過ぎて、わたしはヘトヘトやった。
渦中はそんなものかと思ってたけど、今なら良くわかる、疲れていた。そして、とても頑張っていた。
そもそも行事が良い悪いとかいうよりも、結局は自分が嫌々やっていたということに、疲れの原因があるんやなと思う。
実は、わたしは望んでここに住み、そこでの恩恵を受ける為に、ルールを守るという選択をしている。
しかし当時は、そこに無自覚で、勝手にやらされてると思い込んでいた。そして疲れた。
わたしの学んでる嗅覚反応分析のベースには、人には生存戦略があるという考えがある。
つまり、自分の戦略として、今の状態があるのだ。
わたしは自分の戦略として、村のルールに従っているのだ。従わされてるのではない。実際その通りだ。
その事実を知って、私はとても気持ちが軽くなった。全ては自分が選んだ戦略なら、戦略を変えれば済むだけだ、と希望が持てた。
先日、数年前からの知り合いに、「みほさんが、急に雰囲気が変わった日のことをとても覚えている。」と言われた。
わたしがある日突然顔つきが明るくなったそうだ。
嗅覚反応分析を学んだ数日後にたまたまその子と出会い、嗅覚反応分析を勉強してね、と報告したんだけど、その日のことだそうです。
他人軸から自分軸に切り替える、きっかっけとその希望があるだけで、人って元気になるんだね。
もちろん、人は急には変われない。だから、ずっと嗅覚反応分析を通して、人間学を学び続けてるんだけど、
価値観が変わると一気に人は変わることがあるんだね。わたしにとっては、嗅覚反応分析はそのくらい目から鱗のものだった。
今ではその子は、一緒に嗅覚反応分析の目から鱗具合を知ってほしい、広めたいと思ってる仲間。
「なんとなくnote」日々のグラフも投稿。